Macなオヤジの日記

Macに関連した事をメインに今では当たり前になった事を思い出しながら綴ります。

Macの買い替え。2代目Macは。

2代目として購入したのはPerforma5420です。

通称ブラックパフォーマ(かっこい~~)です。 

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Performa 5420

こいつも一体型で、当時Appleも家庭向けに普及を進めており、「買ったらすぐ使えます」をウリにソフトもふんだんに添付して売り出していたものですね。

値段は忘れたので、ネットで調べたら当時、秋葉館で¥398,000だったそうな。

えっ!どうやって大蔵省(カミさん)の許可が出たんだろう。覚えてない。

 

色々と特徴があるんですが、我が家的には、まずはPowerPCマシンになった事です。

以前のモトローラ製68000(通称68K)シリーズから性能向上を目的にCPUが変更されたものです。

 

命令セットがSISCからRISCへ移行され、雑誌ではその違いを、スーパで買い物する時に例えて説明してましたね。

スーパーで買い物をする時に、大人が一人で全ての買い物をするよりも、一つづつ子供に買いに行かせた方が全体の処理時間は短くて済む、みたいな説明だったと思います。

 

 

次に、TV /ラジオが視聴できたという事です。

ラジオ用のアンテナとTVのアンテナケーブルを繋いだ記憶があるのと、TVを見たことがあるのは確実なんですが。

絶対試しているはずなんだけど。。。

 

ただ、あえてMacでTVをみる必要はない(リビングあったので)ので、試した以降はアンテナも外していたと思います。

 

それより、ビデオ入力がありVHSの取り込みをやったはず。

これも絶対試しているはずなんだが。覚えてない。。。(泣)

 

ただ、当時のマシンSPECではサイズも小さかったでしょうし、コマ落ちもあったんではないかと想像するに、VHSのデジタル保存には不十分。

かといって編集はマシン性能が絶対的に不足していたし、試して終わったものと思います。

動画はHDも圧迫しますしね。

 

次に、PCIスロットを1基備えてました。

何か挿して使っていた記憶はあるんですが、思い出せません。

そんなに選択肢は無かったはずなんだけどな~。

 

多分USBカードか、Ethenetカード(ネットワーク用)だな。

我が家の通信環境に伴って変化したんだと思います。

 

また、二次キャッシュメモリスロットがあって、ここに挿せるPowerPCアップグレードカード(クロックアップ版)が発売されてました。

確か、我が家も挿してましたね。(どこから費用を工面したんだろ)

体感的には、そんな劇的に早くなったとかは感じませんでしたね。

 

クロックの違い分だけの処理は早くなっていたんだとは思いますが。Photoshop の重いフィルタ処理だったりすると、恩恵もあったのかもしれませんが、大体は瞬間の処理で済むものだし、ネットは通信回線がボトルネックだし。。。

 

つまり、自分の使い方を考えない無駄な投資だったと!

なんと!!ショック!!

 

今思い出すと、結構周辺機器も繋いでいましたね。

INS64のボックス、外付けHDD、MOドライブ、DVD/CDドライブ(Writing用)最後にとどめのプリンタ。

一時期に全部揃ってたわけではありませんが、確かにゴチャゴチャだったな。

プリンタに至ってはALPSの昇華型だった時期もあります。

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ALPS プリンター

お~、たいしたもんだわ。こんなに良く投資したな。

その割に、この頃はアウトプットが少なかったような。

つまり、費用対効果が低かったと。

えっ、またしても無駄な投資か?ショック!!

 

ALPSの昇華型プリンタは、当時主流のインクジェット式ではなく、テープに付着したインクを熱で昇華させ用紙に定着させるタイプのもので、唯一だったと思います。

これは、結構使いましたね。

水に濡れても滲まないし、金、銀、メタルなんかも印刷できて一味違うものが作れました。Wikipediaリンクを付けておきます。

 

印刷に時間が掛かるのと印刷カートリッジが高かったのがネックでした。

カートリッジは、使い終わると巻き戻して再利用してましたね。

一度印刷すると昇華したところが印刷抜けするので、同じページを複数回印刷するとか。

結構工夫してやってたんだな~。

偉い偉い。TO:自分(笑い)

 

ソフトもたくさん付いてましたが、使ったのはレベルアサルトIIぐらいかな。

Windows機でもそうですが、ソフトはたくさん着いているんですが、実用にはならないソフトだったり、自分の使用スタイルでは絡んでこないソフトだったりと、実際に使うソフトってそうはない気がします。

 

セールストークは良いんですが、後で考えると実益や購入動機にはならないなと。

確かにお得感はあるんですけどね。

 

Macの場合ありがたかったのは、使いやすかった事。の一言につきるような。

私も、全くのパソコン素人から始まってますが、なんとか、かんとかやれたのはハードルが低かったからではないかと思います。

(ツッコミは不要です。あくまで個人の感想ですので。)

 

akibakan

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当時のMacOSのこと(昔はおおらかだった)


最初に購入したPerforma575のOSは漢字Talk7.1だったと思います。

キーボードの起動ボタンを押すとジャ~~ンと起動音が鳴り、ハッピーマックが現れてOSが起動します。

本当に、ハッピーマックの名の通り笑顔のマックが現れ、ハード、ソフトに問題がない場合に起動するのでこれが画面に現れるとフッフてなもんです。

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HappyMac_icon

ちなみに、何か問題があってに起動できない時にはサッドマックが現れます。

目が✖️点のもうダメだ〜的なマックです。

しかも、真っ黒な画面で起動音も不協和音が鳴り、この音が黒板を引っ掻いた時のような背筋がゾゾゾってする感じの音です。

本当に死んでるなこりゃと思わせるに十分な効果があります。

 

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SadMac_icon

私も、数えるほどですが遭遇した事があります。

だいたいは周辺機器を外して起動し直せば問題なかったりしたんですけど、初めて遭遇した時には「アッチャー」が半分、あと半分は「へーこれが噂のサッドマックか」って見れたことに感激したりしてました。

 

Macは、初代からGUI(Graphical User Interface)を持ち、マウスで操作する事を基本としています。

今では当たり前となっているGUIですが、GUIを製品として世に出したのは初代Macintoshだと思います。

普及させたのは販売数の関係でWindows機ですけど。

 

マウスで矢印を動かして、クリックで選択、ダブルクリックでアクション、ソフトが起動したりしました。

フォルダをダブルクリックで開くとズーミングアクションでウィンドウが開きましたし、ウィンドウを閉じるとクローズアクションでウィンドウが閉じていくのが目で確認できました。

 

ゴミ箱も、アイコンは蓋のあるアメリカ的なデザインのゴミ箱で、中に削除物があるときは、蓋がズレて書類がちょっとだけ見えるような絵に変わります。

ゴミ箱の中身を消去すると、元の蓋がされたアイコンに戻る、といったことになってました。 

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ゴミ箱アイコン

デスクトップはその名の通り机上を表していたし、ファイルは書類として机上に並べられて編集される。

書類は捨ててもゴミ箱の中にあるうちは拾い出せる。

実生活が再現されていました。

現在の、パソコンのGUIにおける基本操作体系はこの頃から変わってませんよね。

 

GUICUI(Charactor User Interface)はどちらがいいんだ?って議論もありましたね。

雑誌やTVでも取り上げられていました。

意味のない議論だったとは思いますが、結構白熱していた様な気がします。

なんせ、MacWindowsかの代理戦争みたいなものでしたから。

結局のところ、プログラマーの様な開発関係にはCUI、それでなければGUIですよね。

 

良く言われていたのが、Macは操作が直感的なので使いやすい、的なことですかね。

事実、デザイン系や音楽系の間では良く使われていて、確かに自分のやりたい事を抵抗なくやれた感がありますね。

もちろん、機械ですからそれなりのハードルはありますが、あくまでWindowsに比べての比較論でした。

異論、反論はあるでしょうが1個人の意見です。

ショートカットは、また別次元と思います。

 

ま~、Macのインターフェースに関しては良く考えられていたと思います。

 

よくやったゲームはAladinとRebel Assultですね。

Aladinは、シンドバットが迷宮の中を罠や障害を乗り越えてお姫様を助けに行くというゲームで、絵も内容も大変良くできた癖になるゲームでした。

Part.Iはクリアして、最後は魔法の絨毯に乗ってPart.IIに飛んで行きました。

Part.IIはメドゥーサをど〜してもクリアできずに止まっていまいました。

 

Rebel Assultは、スターウォーズの同盟軍パイロットとなり戦うシューティングゲームです。

谷抜けの練習から始まって、ウォーカーへの攻撃、ファルコン号での坑道脱出まで行ったかな。

そこから先は止まりました。

マウス操作なんですが、なかなか難しかったことを覚えてます。

でも、あのスターウォーズの世界観もあったし、自分がファルコン号を操縦できるんですよ。

やらないでか!

 

QuickTimeが出てからは動画の環境もソフト的にはハードルが下がり、結構ネットにある動画をダウンロードしては見てました。

リリース当初は240x180pixcelぐらいでしたっけ?、こんなので何ができるの?という声もありましたが、その後マルチメディアを普及させる基になりましたね。

 

QuickTimeにはVR機能もありました。

今流行りのVRとはちょっと違います。

個体をグルグル回して見れるVRと、魚眼レンズで撮影した写真を360度視線をグルグル変える形で見れるVRの2種類です。

 

私も、VRを作りました。

娘にグルっと回転してもらいながら撮した写真から、個体VRを作成して、娘をクルクル回転させては一人悦にいっていました。

 

魚眼の方は、現場の写真で作成して記録として社内で公開してましたね。

結構迫力がありました。

ただ、WindowsではQuickTimeのインストールが必要になるので普及しませんでしたね。

 

アイコンも一目見てフォルダなのか、アプリケーションなのか、機能拡張なのか等の分類がわかるアイコンでした。

アプリケーションのアイコンは、各メーカの思い入れがあるユニークなものがたくさんありました。

力瘤(ちからこぶ)のナイザスライターみたいな。

この頃は、個人でアイコンを作成して販売している人もいたくらいです。

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NisusWriter_icon

MacOS8以降はハッピーマックの後にMacOSのキャラ(私はあまり好きになれませんでしたが)が、デスクトップが表示されまで出るようになりました。

AppleApp storeを開始するまでは、ソフトも基本的にCDやDVDの物理的メディアで提供されていていました。

雑誌の付録にPDSや機能拡張があったり、カスタマイズも結構できました。

 

機能拡張は機能がバッティングする(コンフリクトと言う)と機能拡張マネージャでアレとコレを外して、再起動、今度はコレとコレを入れて再起動、ってなことを飽きずにやってました。

MacOS9までは、ユーザがある程度システム的な領域まで自分好みにできたところがありました。

その分、不具合も出たりしましたが。。。それも含め、楽しんでました。

 

モダンOSへの移行ということでMac OSXとなり、unixであるmarch3をベースとしたOSに生まれ変わりました。

本当のマルチタスクとなり基本的な機能、性能は格段に上がった気がします。

 

Appleをどこが買収するかと言われていた時期での、NEXT買収とJobsのAppleへの復帰等その当時を知るものとしてはハラハラドキドキものでしたが、Jobsが何やるのか楽しみでしたね。

 

MacOSXになってからは、ユーザでシステム的なことはイジれなくなったので、そういう意味ではつまらなくなりました。

が、その分創造的な事や、やりたい事に集中するようになったのかな。

 

インターネットも、どんどんコンテンツも機能も増えていった時期でしたね。

個人的にはTiger以降はネットとメールぐらいしか使わなくなったので、もうMacのハード、ソフトの進化もガジェットのリサーチとか雑誌からの情報にも昔ほどの関心がなくなりました。

 

akibakan

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NewtonというPDA(Personal Data Assistant)

Newtonにとても興味を持ちました。

確か、ジョン・スカリーの肝煎りで開発が進んだ、人との関わり方がパソコンとは異なるデバイスでした。

個人情報端末(PDA)なるカテゴリーが出来る発端になったと記憶してますが。

Parm、Viser、Windows mobile等の先駆けとなった製品だったと思います。

 

当時のコンセプトとしては情報をアシストするデジタル秘書がイメージされてましたね。

コンセプトデモでは、3次元フォログラムの秘書が受けごたえして要求をこなしたり、提案したり、といった内容でした。

現在のsiri的な対応と似ています。

 

まずは初めとして具体的なデバイスとして発表されたのがNewton messagePadです。

リアムタイムOSで、画面にペンで手書きされた文字を認識してテキスト化、単語として文書を作成し、メールで送信といった作業ができました。

今の、スマートフォンでできる流れ作業です。

 

日本語対応もされ、国内でも結構盛り上がっていた(パソコン市場から見ればもちろん一部ですけど)と思います。

MacからのPDSが移植されたり、ひらがな、漢字フォントや変換システム等が提供されたりと環境もある程度整っていきました。

操作や入力は全てペンにより画面をタップ、文字を直接ひらがなで書き込み、認識、漢字に変換しました。

 

タップ、ダブルタップ、長押しなども対応してました。

絵もかけました。

フリーハンドで線を引くと直線に変換してくれたり、フリーハンドのままにも出来ました。

四角形や三角形程度は認識していたと思います。

図形と認識したものは、選択し移動、サイズ、形状変更が行えました。

作成したデータは今のiPhoneのメモみたいな感じで保存されてました。

 

高額でとても手が届くものではなく、指を加えて見てました。

が、どうにも、触ってみたくて。

なぜなら、これこそアラン・ケイの提唱したDynabookではないかと思ったからです。

まだまだ、そんなものではありませんでしたが。

1998年に開発中止が発表され、その後下火になっていきました。

 

私は、ブームが下火になった頃MessagePad 2100の中古を安く譲ってもらいました。

アプリ、データのインストールやアプリ開発にはMacが必要でした。

通信環境が、モデムの時代ですからアプリのダウンロードなどは出来ず、と言うよりそもそもAppストアー的なものさえありませんでしたから。

 

流石にメモリ容量や当時のCPUの処理の能力では厳しいものがあり、サクサクと使えるという状況ではありませんでした。

それでも、それなりのサイズではありましたが鞄に入れ、スケジュール管理やメモ書きに使ってました。

 

特に日本語変換については、開発が止まったこともありストレスなく使える、というところまでは行かなかったですね。

英語で使う分には、そこそこ使えたのではないかと思いますが、英語が苦手で。。。

メールも送受信できたし、スケジュールや連絡先の管理もできたし、英語であればそこそこ動いてましたから。

 

eMate300も中古ですが手に入れました。

費用をどうやって工面したか覚えてません。

メモリも追加したし、MessagePadと合わせると中古とはいえ当時の私には、全お小遣いを叩くことになっていたと思います。

eMate300は、その大きさから流石に持ち運びは出来ず(ハンドルは付いていますが)家専用でした。

主に娘が思い出したように”さめがめ”で遊んでました。

 

そうそう、eMate300と言えば。

当時は新宿にNewton shopがあり買えないまでも実機を見たいと思い、娘(小学校低学年)をつれて訪れた時のことです。

ビルの2階のこじんまりとした部屋だったと思います。

真ん中の丸テーブルの上にeMate300の実機が置いてありました。

 

私が奥のスタッフと話し終わって振り返ると、なんと!eMate300で娘が”さめがめ”をして遊んでいるではありませんか。

驚きましたね。使い方は知らないはずなのに。

 

まっ、確かに起動ボタンや、アイコンは見慣れたものが並んでいるのでペンを取ってタップしたんでしょうね。

私の驚いた様子に、逆に何驚いてんのって感じの反応でした。(笑)

この時、eMate300も手に入れようと決心したんだと思います。

 

このNewton繋がりで2001年のMacworld Expo/TokyoにNewtonユーザーグループとして参加させてもらいました。

この時だけの、スタッフでした。

たぶん、雑誌かNiftyのフォーラムか何かでスタッフ募集の告示を見つけ、メールで連絡を取り当日待ち合わせ場所に集合しました。

 

お手伝いをさせてもらい、Expo終了後解散しました。

本当に、その節はお世話になりました。

ありがとうございます。(TO:当時のスタッフさん)

 

現在、所持品としては、eMate300が1台、MessagePad2100が2台。

MessagePadは1台をポン酢漬けにしてしまって動かなくなったので、再度探して中古品を入手しました。

(どうやって入手したか既に記憶がほとんど無い。)

 

iPhone3Gが発表された時、「現在の技術レベルで再計画するとこうなるんだな。」って感じました。

ほぼ同じ事が、iPhoneiPodでできるようになりましたから。

しかも日本語環境がデフォルトで。

 

Jobsに嫌われ開発中止の憂き目をみましたが、iPhoneの出来をみると結構エッセンスが入っているような気もします。

開発中止は残念ですが、経営判断としては正解だったと思います。。

 

akibakan

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Macworld Expoが開催されていた時代

当時Mac関連の展示会として、Macworld Expoが開催されていました。

アメリカでは当初サンフランシスコのモスコーニ・センターで行われていたそうです。

年代で開催地や名称が変わっています。

詳しくはWikipediaでどうぞ。

 

その当時のCEOの基調講演から始まり、その後、展示会でAppleの新製品はもちろんのこと、サードパーティーの製品、サービス等が展示され、一般人もデモを見たり直接触れたりすることのできる展示会でした。

アメリカのは行った事がありませんが。

 

基調講演が終了するまでは、会場入り口の大きなポスターやAppleのブースには幕が掛けられていて発表内容がわからない様にしてましたね。

大体は、噂や推測でわかっていることもありましたが、やはり発表されるまでは楽しみでした。

 

Jobsが復帰してからは、あの有名な「One more thing.」も、この基調講演でのことです。

日本からも、開発者や関係者の方が多く参加されていた様です。

この頃はまだ、ネット配信とかないので情報は雑誌がメインだったと思います。

 

日本でもMacworld Expo/Tokyoとして1990年に第1回が幕張メッセで開催されました。

私が最初に行ったのは1994年のMacworld Expo/Toyoだったと思います。

何より、Mac関連のハード、ソフト、サービス、それにユーザーグループの参加等々、本当に関係する全てのものが集結した感があり、何より熱気があったことを覚えています。

 

基調講演で紹介された新製品に直接触れたり、身近で見れる機会でした。

Appleの製品については、先に行われるアメリカの内容で明らかになっているので、目新しくはありませんが、それでも出来立てほやほやの湯気が出ているようでした。

20”Cinema Displayを最初に見たのもこのExpoでしたが、「これが液晶か?」ってぐらいシットリしていて、いつまでも見ていたいな、と思った事を覚えています。

 

また、サードパーティーも元気で、周辺機器、ソフトやサービス等を各社が展示していて、デモやハンズオンをやってました。

ユーザーグループを含め個人参加的な小規模なブースもたくさんあって、1日では見切れませんでした。

とは言っても2日も行ったことは無いですが。(笑)

 

気になっている製品やソフトを直接触ったり、見る事ができたり、スタッフに直接話を聞いたりと、Expoを満喫してましたね。

 

思い出として残っているのは、2001年のExpo/Tokyoの時にNewtonユーザーグループとして参加したことです。

Newtonには興味があったものの、その高価さゆえ手が出ないでいましたが、中古を手に入れ使い始めた頃でユーザーグループに直接連絡を取り、スタッフとして参加させてもらう事ができました。

詳しいことは、別の機会に詳しく書きたいと思います。

 

一度だけ基調講演にも参加した事があります。

2002年だと思います。基調講演が誰だったか思い出せない。

Jobsだったような気がする。内容は覚えてません。

 

あと、1回だけだったけどアダルトコーナーが設置された回がありました。

カーテンで囲んだちょっと見た目、”なんだ?”的な一角でしたが、入るのに年齢確認されていた様な記憶があります。

もちろん入りましたよ。逃すはずありません。

 

展示されていたものはアダルトCDがメインだったような。。。

QuickTimeが発表され、マルチメディアが盛んに叫ばれ始めた頃だったと記憶してます。

1998年かな。これも要確認ですね。別にいいか。

 

結構後になって知ったんですが、MacworldはAppleの主催じゃないんですね。

アメリカのIDCワールド・エキスポが企画し、Appleが参加しているだけでした。

まっ、一番ブースは大きいし、場所も一頭地でしたけど。

2003年以降はAppleが出店しなくなったので行ってないんじゃないかな。

仕事も出張とか多くなってたし。

 

とにかく、年に一度の待ち遠しいイベントであったことは間違い無かったですね。

共感してくれる人も結構いるんじゃないかと思います。

akibakan

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当時のMacに関する雑誌、書籍のこと

当時は、パソコン雑誌もWindows含め各社からたくさん発行されていました。

Mac関連の有名どころとしては、Mac World、Mac Life、Mac Power、Mac Fan等、今思うと結構ありましたね。

 

私は、Mac Fanを毎号(当時は2週間に1度発行)購入していました。

他は、読みたい記事があった時購入するって感じでした。

各誌それぞれに特徴があって面白かったです。

 

Appleの動向、新製品の情報、各機種の特徴、ハード、ソフトのレビュー、使い方、裏技、周辺機器(ガジェット)の情報、MUG(Mac User Group)情報 などなど本当に読み耽りました。

 

読書が苦手なので最初は、時間も掛かりましたが、全ページに目を通すと決めてがんばりました。

なにせ、MacDOS/Vと違いOSって何?どれ?みたいな、わからない事だらけでしたから、見るのも読むのも初めてのことばかりでしたね。

 

社会的には少数派でしたから(パソコンのシェアでは当時3~5%程度)、ユーザも情報共有の意識があったり、助け合いのような気風があったと思います。

そのうちに、ある程度情報が把握できる様になり、色々と自分でも出来るようになりました。

 

Macユーザはマニアックだと世間では言われていたと思います。

確かに、そんな傾向があったような気はします。

結構、Macに関係することを話し始めると、熱く語り始める人も多かったような。。。

 

私は、Mac Fanを毎号購入していましたが、私の知識レベル、ユーザとしての経験値に対して丁度良かったんでしょうね。何しろ読んでて楽しかった。

 

記事の中で特に楽しみにしていたのは、ズバリ、電脳奥様(ハイパー奥様)。

”やってもーた”は、本当に共感できました。

すみません。知ってる人にしかわかりませんね。(笑)

 

次が、マックな人。内容が全くもうマックな人でしたね。

これも知ってる人にしか伝わりませんね。

どちらも、Macユーザなら誰しもがヤラカシそうなエピソードや、人柱になってくれた事が描かれたマンガでした。

毎号楽しみにしていました。

 

なので、Mac Fanについては途中(このマンガ)から読む癖がつきました。(笑)

どちらも、自分がそうなってもおかしくない様な内容で、毎号笑わせてもらったものです。

無くなった時は本当に残念でした。

今でもこの癖は抜けなくて、”Xまでとどけ”から読んでます。

鈴木みそさん、グッジョブです。

 

記事を読むにつれ自然とAppleの成り立ちやUI(ユーザインターフェイス)に対する考え方、Macや周辺機器、ソフトに対する設計方針等、知れば知るほど興味が湧きハマっていきました。

これほど思想が詰め込まれた工業製品を私は知りませんでした。

(自分が甘かったとも言う)

 

当然の流れとして、人物の伝記やAppleMacの誕生物語の書かれた書籍も読みました。

読書が苦手なこの私が!

受け売りですが物語などは、また違う機会に書きたいと思います。

 

その後、Appleの経営不振と相まってMac専門誌も減っていき、今ではMac Fanのみとなっているのではないでしょうか。

そもそも、書店で雑誌を買わなくなっているので判らない。(え~~TO:自分)

あったら教えてください。ごめんなさい。

 

Mac Fanも今では月刊誌となり、横書きが縦書きとなり、紙面が大きくなりました。

ちょっと大人な真面目なパソコン雑誌的な見た目の印象です。

昔のMac Fanは、今思えば遊び心満載だったんですかね。

他のMac専門誌には無い部分だったのかな~。

 

初回号の表紙がアジャコングだったと聞いています。

確か歴代表紙の特集があった時に、見た様な。。。

残念ながら購入を始めた時期が少し遅かったので、実物は見てないんですが。

 

現在は、Mac Fanを定期購読してます。

昔の様に隅から隅まで見る様なことは無いですけど。

決して内容がつまらないわけではありません。

 

新製品情報やガジェットの情報だったり、Appleの動向情報とか有益な情報はあるんですが、私の中での情報取得意欲というか、情報の重みが高くないというか、そんな事で結構メイン記事は斜め読み程度の事が多くなってます。(編集者のさんゴメンナサイ)

 

MaciPhoneiPadApple Watchなど一度購入すると4、5年は使うので積極的に情報を取りにいこうという気が起きないのも確かにあります。

また、AppleもTim Cockになってから経営的には堅実になった印象ですが、破天荒さが失われた感があってWWDCや新製品の発表イベントもいまいち乗り切れないってとこですかね。

 

最後は、1ユーザの愚痴になりましたね。

 

akibakan

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当時のソフト(アプリケーション)のこと

ブラウザーと言えば最初はMosaicだったと思います。

Netscapeがリリースされてからはこちらをを使ってました。

Mosaicは忘れましたが、Netscapeはまんまブラウザのみで起業してましたね。

 

接続できたらオモムロにブラウザを立上げYahooを表示(最初のページに指定)。

Googleはまだ存在してなかったですね。

当時Yahooも検索してもらうためには、確か申請制だったと記憶してます。

GoogleのCEOだかも言ってますが、確かにYahooで「Yahoo」を検索してもヒットしませんでした。

不思議だな~と思ったのを覚えてます。

 

家でも子供服を売りたくてホームページを作って公開してたのでYahooに申請した記憶が残ってます。

すぐ辞めちゃいましたけどね。だって、す~~ごく、面倒なんですもの。当時ですから。

 

ホームページ作成ソフトもたくさん出ましたね。

最終的に気に入って使っていたのはクラリスホームページだったような。

ホームページといっても今のような動きがあるものではなく、写真を載せるのがやっとです。

通信速度の関係もあり重いものは、はっきり言ってハタ迷惑。

動画なんてもってのほか、というより無かった。

動画の編集はパソコンでは性能的に無理があったし、動画を扱えるソフトも個人が使えるものは無かったと思います。

 

MosaicNetscapeでの表示もテキスト(文字)はそこそこスムーズに表示されましたが、写真となるとこれがサイズにもよりますが、一枚を表示するのに何回か途中で止まりました。

データを読み込むのに数秒間止まり、数秒間一ラインづつ描画し、また読み込みの為止まり、を繰り返していました。

今思えばよく我慢してたなって感心しますね。

 

その他の、我が家で貢献したソフトといえばクラリスワークスですね。

当時の統合型ソフトで文書作成、ペイント、ドロー、データベースが一つになったものでした。

購入時に付いてました。幼稚園の広報誌やメニューの作成に使ってました。

 

Macは当時からDTP(デスクトップパブリッシング)やDTM(デスクトップミュージック)が出来てましたし、一応カラーマネージメント対応だったり、WYSWYGが実現されてました。

OS側で対応しているので、ソフト側が対応さえすれば実装できたものだったようです。

とは言っても開発者にとっては実装するには、結構大変だったという話は聞きましたが。。。

 

WYSWYGとは、What You See is What You Getの略で、ざっくり言うと画面で見えているものが印刷されます。手に入るということです。

当然と言えば当然ですが。

ただ、Excelは今でもずれますね。。。

そうそう、ExcelといえばVer.0はMac版だったそうです。

 

色も同様で、完全なカラーマッチングとはいきませんが、プリンターのプロファイルとモニタのプロファイルもありましたし、色ズレも個人で使う分には許容の範囲内だったかなと。

 

また、コピー&ペーストもテキスト、画像、オブジェクトに関係なくソフト間で当たり前にできてました。

TIFFも扱えたし(Windowsでは当時扱えなかった、)、変換ソフトもあったりで大体は何とかなってました。

 

余談ですが、クラリスワークスの中からデータベースの機能だけ抜いて今のFileMakerに至ってます。

サーバ版もあったし、課のデータ管理に使ったりもしました。

情報管理や管理部署やらが厳しくなって止めてしましましたが、もちろん個人でも十分使いやすいですし必要十分な機能を持っていると思います。

 

個人的にはデータベスソフトならアクセスよりはこちらを進めますが、Microsoft Officeを買う時点で流れが決まっているのかもしれませんが。。。

 

ちなみに、私はExcel、Word、PowerPointは仕事では使い倒しましたが、家では基本使いません。

重い(容量、操作)し、使いずらいし、印刷したら色は変わるし、文の最後が伸びて切れるし、図形の配置はズレるし、でイライラするんで。。。

 

クラリスインパクトというソフトがあって、テキスト、オブジェクト、画像を1文書の中でシームレスに扱えるソフトで、非常に重宝して使いました。

会社としてWindowsでシステムを構築していく中で、Macも導入されなくなり自然消滅的に無くなりました。

 

しかし、このソフトを見て今までパソコンに触らなかった人がMacを買い、このソフトでバリバリ資料を作り出すところまでになったのには驚きました。

 

 

akibakan

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当時の通信、ネット環境のこと

1993年当時は、インターネットの黎明期になるんですかね。 

 

最初はパソコン通信Nifty serveで遊んでました。

情報収集や話題についていこうと必死だったような気がします。

情報の間口が広がったのは確かですね。

 

当時の一般的な情報の入手先はTV、ラジオ、雑誌でしたし、パソコン関係となるとそれこそ雑誌ぐらいしかなかったと思います。

Nifty serveは、Mac関係のフォーラムは結構あったと記憶してます。

多分ここでインターネットの接続方法も知ったのかなあ。

とにかくお世話になりましたね。

 

余談ですが、パソコン通信というのを少し私なりに説明しておきます。

うる覚えで申し訳ないですが、Nifty serveの例でいくと、接続すると箇条書きのメニューが外面の左上からパラララと表示されます。

フォーラム(会議室)がテーマ別に分類されているので、番号を入力してフォーラムにたどり着いて記事を読んでいた様な。

クリックしてリンクで飛ぶ様な仕組みはなかったと思います。

なんせ、パソコン通信ですから。

 

あくまで、NIfty serveは情報共有、話題提供がメインでコメント投稿、コメントにコメントしてって事で、ワイワイガヤガヤやっていた感じでした。

基本的にAOLやmsnも同様で、販売目的のShopがメニューにあったりしたんだと思います。

アクセスしたことないんであくまで想像です。ハハハ。(汗)

よくパソコン通信はクローズドな世界で、インターネットはオープンな世界と言われましたね。

 

接続環境について言うと。

接続は今のような光回線Wifiはまだ無くてADSLさえありませんでした。

NTTの電話回線を使ってモデムで接続する時代でした。

 

最初に購入したモデムは2400bps(当時最速です)。

ワイルドですね~~。MBでもGBでもありません。

14400、28800、32000bpsまですぐ上がりましたけどね。

その度にモデムを購入しました。

その後は、ADSLが普及していきました。

 

どうやって接続していたかすっかり忘れましたが、おそらくモデムのCCLファイル(間違っているかも)を機能拡張フォルダにぶっこんで、PPPソフトを立上げ(起動)接続していたような。。。

あの接続時にピ~ヒャララ~、ガァガァガ~はなんと表現すればいんでしょう。

 

電話回線を使っているので、当然接続中は電話料金が発生します。

基本的に従量制ですから最初は、夜間料金になる時間以降(10:00以降だったかな)に、Nifty serveに接続し、更新ログをダウンロード、切断、ログの切り出しを最初行ってましたね。

 

この作業を3種の神器(まな板、ComNifty、魔法のナイフ、茄子)が時間になったら自動でやってくれてました。

開発者の方々に感謝。フリーソフト(あれ、ドネーションでしたっけ?)でしたから。

 

1995年にNTTからテレホーダイが開始されて申し込みました。

Windows95が発売されてインターネットの接続需要が見込まれるのに合わせたサービスだったんでしょうね。

22:00から翌朝8:00までは料金一定の定額制でした。

当時としては画期的でしたね。

 

でも、通信速度が早くなるわけではありません。

当然、外線が掛かってきても話し中となります。

カミさんから電話がかかて来た時にネット使用中で連絡が取れず、カミさんがカンカンになって帰って来て、モデムからの電話線をハサミで切られた事があります。3回ほどかな。(汗)

 

我が家は、モデム+電話回線の次はNTTのINSに移行しました。

ADSLが出るちょっと前のタイミングでした。

正直、もう少し待ってADSLに移行するのが正解だったと思います。

 

INS64まで利用しましたが、全く速度的な変化を感じれませんでした。

散々TVのCMでSMAPの草彅君が劇的に変化するようなことを言ってましたが。

まっ、彼には全く責任はありませんが。(笑)

NTTとしてはADSLの開始前にとにかく売っときたかったんでしょうね。

これ以来、NTTには不信感を持つようになりました。

 

INS64の次はauひかりに移行しました。

当時はNTTのFlets光もありましたが、不信感が拭えなかったのとauの方が通信品質が良いとの評価もありauにしました。

この頃には、インターネットのコンテンツも肥大化が当たり前のように進んでいった時期だったのではないかと思います。

各社から、動画、アニメーションやインタラクティブなコンテンツを作成できるツールがリリースされていました。最終的にはFlashとかが代表格ですかね。

 

我が家では、Macの性能がボトムネックになっていたと思います。

屋内は10baseTの有線接続だったし、Wifiを導入しても仕様は802.11 bですから光回線を活かせて無かったと思います。

今でこそWifiは規格も増えて通信速度も上がりメール、ブラウジングには十分な環境になってますが、当初はちょっとモタついていた感はありましたね。

 

我が家にWifiを入れたのは多分iPhon3Gを買ったタイミングだったと思います。

スピードというよりも、ケーブルから解放されることのメリットは大きかったでしたね。

足元を気にせず歩ける開放感、いや~、ワンランク上がった気分でした。(何のランクか分かりませんが。)

 

モデムで接続していた頃はインターネットサービスプロバイダーなるものはなかったと思います。

パソコン通信、インターネット接続、メールも電話回線で繋がってましたので。。。

この辺りは不勉強なのでスルーします。

 

メールについては、メールサービスのみを提供する会社がいくつかあり、その中の一つと契約しました。

契約するにも最初は封書での申し込み、受付、設定他マニュアルの郵送、だったと思います。

だって、メールの設定が出来ていないんですから。

 

これまた、メールの設定がわからなくてメール出来ないのに不明点はメールで連絡しろ、との御無体なトラブルシューティング

今でこそ笑えるけど、当時は笑えなかった。(いや、笑ってたな。)

STMP、POPの設定って未だに緊張する。

まだまだ、パソコン通信、インターネット、メールは一般的ではなくて、最初に取得したメールアドレスは苗字のアルファベット表記がそのまま使えるぐらいでした。

 

その後インターネットが普及し始めると、ポータルサイトと称されるサイトが雨後の筍の様に出てきてましたね。

Nifty serveもそうですがパソコン通信系からインターネットに対応したし、so-netBIGLOBEなどの新規参入組等々。

Yahoo Japanはソフトバンクに買収されてからですかね、ポータルとしてはちょっと遅れて出てきた感があります。

 

ホームページ(接続後最初に表示されるページ)になるべく凌ぎを削ってましたね。

そのうち、ホームページをYahooやGoogleが占める様になって、囲い込み的な方針はなくなっていったんだと思います。

オープンなインターネットで囲い込もうとしても、拒否反応が出るのも当然といえば当然ですよね。

akibakan

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